yakinikunanzan会長の事業承継奮戦記

子育てと事業承継について

命あるもの全てに乾杯!

7月24日に「よみがえりのレシピ」上映会と「夢いっぱいに食の未来を語る会」を開催し、そこから広がるご縁に、今年の夏はいつも以上に熱い大騒動が繰り広げられました。


愛農学園農業高校専攻科生の乙名輝くんが、愛農高校で学んだことの素晴らしさと農業にかける思いを語ってくれ、木下牧場の木下その美さんは、近江牛繁殖一貫経営に転換するドラマと、とことんこだわりの美味しい赤身肉を追求し、自給の牧草と地元産の餌だけで育てたプレミアム近江牛に至る話をしてくださいました。

(このイベントについては、この日大いに語ってくださったサカエヤの新保社長がブログで書いてくださいました。感謝です。
http://www.omi-gyu.com/blog/?p=3591


実は、この7月24日、大勢の素晴らしい人たちが集まっているところへ、北海道の様似町で200haの牧場を営んでいるママ友(愛農学園農業高校の保護者仲間)からA4版でびっしり書かれたFAX4枚が届き、これが一つの大騒動に発展しました。


牧場を閉じるかどうか悩みながら、最後に完全な放牧で野生の純粋アンガス牛を育ててみた西川奈緒子さんからのFAXでした。
「初めての挑戦だから、一緒に味見してくれる?」と頼まれていたのですが、それならばと、彼女の思いとお肉になる牛のストーリーを書いてよこして欲しいと頼んでおいたのです。


この顛末についても、サカエヤの新保社長のブログに詳しいのですが、新保社長の多大なご助力で、ドライエージングされた野生のアンガス牛をイルジョットの高橋シェフが、京都へやってきて南山で料理してくださるという奇想天外なことへと発展したのでした。



こうして、と畜予定だった野生のアンガス牛2頭のうち1頭は、素晴らしい料理人たちとの出会いで様々な形で試食されて絶賛され、もう1頭は、積み込まれたトラックから飛び降りて逃げ出し、なんと、その後出産を果たしたのでした。(野生の牛は、妊娠していてもスリムな体型を保つのでわからなかったのだそうです)



さて、この野生のアンガス牛に、とても深い想いを寄せ、千葉から遠く北海道の様似の牧場にまで出向いて、この野性味あふれる牛を増やしてくれるようにと嘆願してくださった奇特な方がいます。
逃げ出した牛がまさか妊娠していたとも知らずに、ぜひ逃げた1頭はお肉にせず繁殖用に生きながらえさせてやってほしいと、強く西川さんに申し入れられたのが、千葉県市原市の「宗田マタニティクリニック」院長の宗田先生です。


宗田先生は、日々新しい命の誕生に立会い、まるでご自身も一緒に浄化されていらっしゃるような方で、その感性たるや、生まれたての赤ん坊の想いをそのまま持っておられるような不思議な先生です。
多い時には月に70件のお産もあるというクリニックを、常勤医師は宗田先生お一人というところがすごいのですが、その秘密を先生はこう語られています。
「いま、常勤医師は私1人ですが、過去ずっと複数でやっていた時よりも楽に仕事ができます。管理栄養士がきちんと栄養の話をして患者さんが太らないとみんな安産になるからです。食のあり方で薬よりも妊婦の状態はよくなるのです。こうしたことを普及させていきたいものです。」


宗田先生を講師にお招きして10月27日(日)午前11時から南山で、「命の土台を作る食べ方」と題してご講演いただきます。命を見つめる医師が、未来を生きる命の代弁者として食と健康を語ってくださいます。
ぜひご参加ください。お申し込みはこちらからどうぞ。
http://www.nanzan-net.com/info/168



この日の交流ランチには、木下牧場で自給の牧草と地元産の餌だけで育った「プレミアム近江牛」が登場します。
今年初めてのオーガニックなプレミアム近江牛「こうへい」ちゃんと、愛農ナチュラルポークもお楽しみに!


数え上げればきりがない不安いっぱいの世の中ですが、実は、素晴らしい希望の種も爆発的に芽吹きそうな、そんな兆しもいっぱいです。


宗田先生は野生のアンガス牛を東京のトロワフレーシュさんに持ち込んで試食会を開いてくださり、素晴らしい料理人につないでくださいました。
↓その時の参加者の小林さんが記録して下さった映像がこちらです。
http://youtu.be/cY6H19w0fpw


これがきっかけとなって、トロワフレーシュさんに、木下牧場の近江牛もつながっていくという嬉しい結果にもなりました。


食と農を大切にする人たちのつながり方は、パワーが半端じゃないのです。
今年の夏の様々なドラマを、追っ付けレポートしていかねばと思っています。


ブログ更新が滞った言い訳ですが、7月26日に母(南山の創業者の一人)が脳梗塞で倒れ、なんとか一命を取りとめてくれました。おかげさまで3ヶ月近いリハビリを経て日に日に麻痺した右手右足が動くようになってき、食べることと笑うことが一番の元気の元だと実感しています。