yakinikunanzan会長の事業承継奮戦記

子育てと事業承継について

この世の天国、岩泉

yakinikunanzan2007-07-26



7月23日(月)は、予定通りに14人が盛岡駅に集合し、バスで一路早坂高原へと向かいました。


早坂高原では、釜津田肉牛生産組合・組合長の佐々木久任さん、安家の森の自然を短角牛の放牧で守っておられる合砂哲夫さん(短角牛の繁殖農家で、スローフード岩手の会長)、スローフード岩手の事務局長を務める岩泉産業開発の茂木和人さん、岩泉へ勉強に来ておられる京都大学の大学院生さんがで出迎えてくださり、佐々木久任さんから短角牛についての興味深いレクチャーをいただいてから、短角の群れが待つ放牧地に入りました。



短角牛は、鉄や塩を運ぶのに活躍していた在来の南部牛が、近年には荷役牛としての仕事を失い、ショートホーンと掛け合わされて肉牛として改良されてできた牛です。明治4年(1871年)に、海を渡って日本にやってきた2頭のショートホーンのオス牛は、港からは歩いて岩泉に婿入りしたのだそうです。
以来、昭和32年(1957年)に今のような日本短角種として登録されるまで約90年間、「農家の嫁の事件簿」でも有名な岩泉の釜津田地区が、日本短角種の改良と育成の中心を担ってきたとのことです。


そして日本短角種誕生(登録)から50年・・・。岩泉では、南部牛と共にあった地域の文化が、肉牛となった日本短角種に引き継がれて、美しい風景と共に大切に大切に守られてきたのです。


今回、岩泉に行って学んだ一番大きなことは、短角牛が経済生産性という価値観を超え、「南部牛追い歌」が歌い継がれてきた大切な地域の文化として、ふるさとの美しい自然と共に守られているということでした。




短角牛は、放牧地で自然交配されて、人間と同じ妊娠期間を経て3月から4月に出産ラッシュを迎えます。生まれた子牛たちは、牧草地に草が芽吹く5月には、母牛と共に放牧され、雪が降り始める11月まで広大な放牧地で母乳を飲み、草を食べて育ちます。
子牛は11月には市場に出されるので母牛から離されますが、人間のあかちゃんと同じぐらいの期間を母牛のそばで母乳を飲んで育っているということには驚かされました。そりゃぁ丈夫な良い子に育つはずです。


夢のように美しい短角牛の母子の風景は、人間にとってもうらやましいような幸せに満ちていました。



私たちを迎えてくれた短角牛の群れの中に、ひときわ大きいオス牛も1頭いました! 
(わかりにくいのですが、上の画像右側がオスです)


放牧地といってもバラ線で区切られたひとつの牧区(ぼっく)に、子牛連れの母牛約50頭と種雄牛1頭が放され、お父さん牛は50頭のメス牛相手に命を植える重労働をするのですが、このお父さん牛、5月には体重1000kgあったのが、今では850kgほどに減ってしまったとのことでした。



輸入の配合飼料に頼る肉牛生産ではなく、飼料も地元産で!!との短角牛を愛する人々の志は高く、気の遠くなる手間暇をいとわずに、標高910メートルを超える高地にもデントコーンが植えられていました。(デントコーンというのは穀物飼料となるトウモロコシで、実も葉も茎もすべて小さく裁断して乳酸発酵させ保存します。)


昨年9月に見たときは、この高地で育つデントコーンは、山の下の安家で育つ合砂さんの畑のデントコーンの半分ほどの背丈でした。これほどの差がある厳しいところでも、地元産の安全な餌で地産地消育ちの健康な牛を育てようとがんばる生産者さんたちの志は高く、「良い仕事をしている」という誇りに満ちていました。


いつまでも立ち去りがたい早坂高原で予定以上の時間を費やしてしまい、安家の合砂さんのお宅に伺う予定は、「牛がみな放牧中なので」ということもあって予定変更し、バスの中で合砂さんのお話を伺いました。


森林セラピー、アニマルセラピーはいかがでしたか?」とニコニコ笑顔で尋ねられた合砂さんの目には、放牧地でひと時を過ごした私たち都会人の表情がすっかり変ってしまったように見えたのでしょう。都会の毒が抜け、みな本当に「良い子になった」という自覚症状が確かにありました。


合砂さんは短角牛だけではなく、実は黒毛和牛もET(受精卵移植)で育てておられます。
黒毛和牛は、母牛に子育て能力がないうえ、子牛を産んでも2ヶ月ぐらいまでしか母乳が出ないのだそうです。


黒毛和牛は、生まれた子牛がすぐに母牛から引き離されるという肥育がされてきたため、いつのまにか子育てができない牛になってしまったのだろうとのこと。
合砂さんは、この黒毛和牛を、短角牛の母牛に育てさせることで、いつか子育てのできる黒毛和牛をつくりたいのだそうです。


人間だって短角牛の母子の群れの中で過ごせば、子育て能力を高めることができるかもしれません。


実際、合砂さんご自身が短角牛と共に子育てされたからかどうなのか、5人の息子さんは評判の優秀な子ばかりで、今年から、ご長男が、合砂さんの後を継いで一緒に働いておられるとのこと。
子どもが帰ってきたくなる「家庭料理の味」の大切さについても合砂さんは静かに力説なさいました。



短角ワールドにどっぷりつかり、まるで竜宮城に迷い込んだかのようなわれわれは、日が暮れる前に岩泉ふれあいランドに到着。
ここは広々と美しい陸上競技場や子どもの遊び場、森林が広がるすばらしいところで、宿舎となるコテージで一服したあとは、浦島太郎のような不思議な心持ちで、生産者さんたちとの交流パーティー会場へ。


パーティー会場では、まずは乙姫様ならぬ岩泉の伊達町長の歓迎の挨拶を受けて、生産者さんたちとの交流会が賑やかに始まりました。





南山からもっていった肉の存在がかすむほどの海の幸、山の幸のご馳走の数々とおいしいお酒!

この宴の準備に立ち働いてくださる方々のおもてなしには、本当に恐縮でした。


Uターン、Iターンで岩泉に集まってきた力強い若者たちの存在にも、短角牛の未来に日がさしていることを感じ、これ以上に値打ちのある牛肉は望みようも無いということを痛感させられたのでした。


岩泉への短角牛交流ツアーの初日は、短角牛の勉強もしっかりし、生産者さんや短角牛に関わる方々とすっかり打ち解け仲良くなって、本当に幸せいっぱい、胸いっぱい、腹いっぱいの1日となりました。


伊達町長が髪振り乱して短角牛の振興に尽力されるように、私も痩せる思いで短角牛の魅力をお客様に伝え、この肉の美味しさを広めていかねば!! と思わされたことでした。