yakinikunanzan会長の事業承継奮戦記

子育てと事業承継について

近江牛の老舗、六代目岡喜牧場

yakinikunanzan2006-09-02



米どころ近江では、農耕用にどこの農家も牛を
飼っていました。


農業の機械化と共に、農耕牛はいらなくなり、空いた牛の小屋に
肉用牛が預けられるようになったのだそうで、近江牛は日本最古の
ブランド牛としてもその価値を認められてきました。


近江には、早くから肉食の習慣があったようで、秀吉の小田原城攻めの時、
豊臣秀吉徳川家康細川忠興らは、高山右近から肉をご馳走になった
という史実が残っています。


これが1590年のことですから、イゴクオウ!と、すぐに覚えられそうです。


仏教伝来とともに禁止されていた肉食が戦国時代に復活したのは、
肉食がポルトガル人宣教師によって広められたからですが、キリスト教
禁止とともに肉食も、また禁止されてしまいました。


ですが、彦根藩井伊家から将軍家や徳川御三家へ、養生品として牛肉の味噌漬けが
献上されたという史実も残っていますので、禁止されてはいたものの、肉食の風習は
見て見ぬふりをされてきたようです。


隠れキリシタンならぬ、隠れ肉食文化が、近江には根付いていたのです。


・・・と、そんな「近江牛」のことを「近江の新米フェアー」でアピールしようと
スタッフたちは、ずいぶん熱心になってきました。


次回の近江牛仕入れには、総勢8人もが参加を希望し、岡喜さんのところで
勉強させていただくことになりました。


岡喜さんのところでは、選んだ枝肉を岡喜の常務が捌いてくださるので、牛1頭から
どんな部位に分割されていくか、とてもよい勉強ができるのです。


200キロの枝肉を相手にする常務の庖丁捌きを見ていると、細胞の膜と膜の間が
はがされるように分けられていく感じで、庖丁は力任せに切る道具ではない
ということがよく分かります。


昔学校で習った壮士の「庖丁(ホウテイ)」の話が思い出され、何度見ても飽きません。


朝7時の集合に、何人遅刻するか心配ではありますが、独特の近江牛の文化を、
近江牛発祥の地、蒲生郡竜王町でしっかり見てもらいたいと楽しみです。


9月の産直フェアーのお楽しみ抽選会の景品になる「近江牛」と、岡喜農園の梨を
どのように当選者の方に送るかの相談もしてきます。


岡喜農園の梨は、今は幸水が食べごろです。梨狩りで食べた幸水の甘かったこと!


豊水も日々甘みを増してきているようです。



*トップの写真は、岡喜本店に飾られている写真で、岡喜の社長と岡喜の近江牛。自分の育てた牛の販路を自ら開拓すべく、先代が精肉販売業と近江牛レストランに乗り出され、先代亡き後は、上品な女将さんと3人の息子さんたちが、現社長以下、専務(レストランの調理長)、常務(牧場管理と枝肉の捌き)を担当され、美人ぞろいのお嫁さんたち3人も総出で、岡喜を支えておられます。