外食産業の行き着くところ
南山の創業者は、自分の商売を決して外食産業とは表現せず、
レストラン業という言葉を多用していました。
レストランという言葉の語源は、「レスタオラーレ」というラテン語で
「元気を回復する」という意味を持っているため、レストラン業
という言葉にこだわっていたのです。
また、「食」を金儲けの手段とすることを忌み嫌い、人間の
命に関わる「食・農・教・医」は、資本の論理に入れてはいけないと、
熱弁して回っていました。
「外食産業」という言葉を「フードインダストリー」という、「食べ物ゴミ創出業」と揶揄し、
自分の商売にはこの言葉を当てはめませんでした。
また、サービス業をその語源から「セルブス=奴隷」、すなわち「奴隷業」と
捉えていました。
子沢山のインテリが食い詰めて創業した南山で、はいつくばって
お客様の食べ散らかしたテーブルを片付けながら、「この業はセルブス業だ!」と
開眼したのだそうで、お客様は神さまです。ご主人様以上です。
・・・というわけです。
昨日、「岡山フードサービス」さんの開かれた第144回「外食産業繁盛塾」に
初めて参加し、大変よい勉強をさせていただいたのですが、そこでは、
「サービス」という言葉より、「ホスピタリティ」という言葉を使うべき
という風に言われていました。
参入が簡単な分競争の激しい、この業界が行き着いたところは「人間力」。
お客様がお食事をなさる空間と時間を、いかに芸術的に演出できるか、
人間対人間の世界で、お客様の心の琴線に触れる細やかなおもてなしが
どこまでできるか、マニュアルではカバーできない人間力が最も大事だと
いうわけです。
本当にそう思います。
また、外食産業の市場規模がどんどん縮んで、いまや、「家庭で食事をする」
ことのほうが「豊か」な時代になっているという話にもうなづけました。
悲しいことに、今は「時間飢餓」時代なのだそうです。
何とかしなくてはいけないと、つくづく思います。
地域の「食」を豊かに支える、必要とされる存在になるには
どうすればよいか・・・、もっともっとしっかり考えていかねばなりません。