yakinikunanzan会長の事業承継奮戦記

子育てと事業承継について

感謝のうちにつつましく


5月11日午前0時50分、父 孫時英は、そばにいた家族の手を握ったまま、ロザリオの祈りの中で目を閉じ、口元を一文字に結んで涙をこらえる表情を見せたのち、この世の苦しみの一切から解放されて静かに帰天いたしました。


13日が友引であったため、通夜(11日)と告別式(12日)は、北白川カトリック教会でボアベール神父様の司式のもと「家族葬」で執り行い、ごく近しい方々に見守られ、祈りと聖歌が聖堂に美しく響く中で見送っていただくことができました。


終の棲家となった嵯峨野病院の皆様には、とても大切にしていただきました。本当に感謝です。


晩年の父は、覇権主義から共生主義への転換をめざす「人間大学」運動に燃え、互いに違ったもの同士がその違いの中に価値を発見し、よりよく生き合うための実学を経営の場で具現化しようとしていました。


しかし経済のルールから外れた父の事業は破綻し、2001年から10年、挫折と絶望の病に伏して父は苦しみました。


脳梗塞の手術後、左半身が麻痺してからは、リハビリを嫌ってほとんど床に伏したままでしたが、2007年2月に病床を見舞った折には、小春日和の温かな日差しを見ながら、
「神様は、大した事業家だよ! こんな自分にも希望をくださるんだ。 

この季節、あんたも好きか?」

そして、「もういちど坂本慶一さんと組んで、気宇壮大な仕事をしたい!」

と、若かったころにタイムスリップして夢のような話に目を輝かせていました。


今となってみれば、奇跡的に生きながらえた南山は、「祈る」ことと「神との対話」を自分の業としていた父の、病床から生まれるエネルギーのおかげだったと思わざるを得ません。


父とのご縁をいただいた全ての皆様に心から感謝申し上げます。