yakinikunanzan会長の事業承継奮戦記

子育てと事業承継について

生き延びたものの役割

南山の創業者、孫時英は、1945年、18歳で故郷の済州島を離れ、両親が疎開先で農業を営んでいた大分県中津市終戦を迎えました。
ぎりぎり戦争には行かずに生き延びた創業者は、そのまま戦後の日本で学び、教師やカトリック教会の伝道師を経て1965年8月に大分県中津市で南山を創業。
そして、ずぶの素人から苦心惨澹して、1971年には、京都の北山通りに「永源寺ダムに沈む運命にあった築200年の農家」を移築し、現在のきたやま南山を開業しました。


北山通りの現南山の建物には、平和な村で暮した何世代にもわたる大家族の息吹が刻まれ、その温かな農家の記憶に、京都での40年間のお客様の思い出と、ここで働いていた人たちの想い出が刻み込まれていっています。


「店舗は、お客様のものであり、そこで働く人たちのものであって、店舗が経営者のものになるのは、廃業して処分せねばならないときだけ・・・。」と、常々先代(創業者)が言っておりましたが、本当にその通りだと思います。


2001年のBSE直前に先代は引退したのですが、廃業の手続きを頼まれた私たちにとって、当時の南山の店舗は、まさに経営者の物(というより債権者の物)、簡単に処分のできない大きな荷物と実感させられていたものです。


数奇な運命を負って、南山はその後も奇跡的に生き延びたのですが、今年で事業継承10年目。南山の不思議な生命力には、改めて感嘆します。


そんな南山で、3月19日(土)、とてもうれしい「同窓会」が開催されます。
ちょうど20年前に南山でアルバイトをしていた当時の学生スタッフたちが、皆40代のバリバリのおっさんに成長し、同窓会を開くのだそうで、タイムレコーダーやタイムカードも準備して、全員「2部入り」の午後5時に「出勤」し、当時のユニフォームだったブルーエプロンと蝶ネクタイ姿で宴会をするのだそうです。
蝶ネクタイは少し緩めてつけ、社食室での休憩風景を再現しての同窓会にするのだそうで、皆卒業時にもらって帰った記念のブルーエプロンを持参するというのですから、聞いていて涙が出そうになります。
彼らにとって、南山でがんばった青春の日々はすごく充実したものだったのでしょう。あの頃は、正味、学生たちが運営しているような、サークル状態でしたから・・・。


お客さまにとっても大切な人との食事の思い出が染みついている南山・・・。たくさんの人の思い出の場としての南山を守っていくことに、大きな責任を感じています。


そして、3月18日(金)にも、面白い同窓会が・・・。
3月18日(金)には、今年1月に開催した糖質制限焼肉健康ダイエット1週間プログラムの成果報告会と糖質オフ焼肉ダイエットメニューの試食会を開催するのですが、この日は1月に参加した焼肉ダイエッター1期生のみなさんが同窓会も兼ねて参加してくださるのです。
この日は午後8時から高雄病院の江部先生の定例ライブもあり、皆でライブにも押しかけようという予定です。
3月18日は、とてもおもしろい充実した会になると思いますので、よろしければぜひお気軽にご参加ください。
詳細は、南山イベント情報ブログをどうぞ⇒http://d.hatena.ne.jp/kabocha3/20110309


今年に入り、いろいろな悲痛な出来事が身近で起こり、意気消沈したままなかなか立ち直れないでいるのですが、昨日はそのとどめをさすような大地震の発生・・・。
甚大な被害にあわれた方々に心からお見舞い申し上げ、突然の災害で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。


被害にあわずに生き延びた私たちは、「なぜ私たちは、たまたま生き延びたのか?」という思いを深めていきたいと、痛感させられています。
亡くなられた方々の想いを汲んで、生き延びた者たちが助け合って、一緒に悲しみを背負っていけますように!