yakinikunanzan会長の事業承継奮戦記

子育てと事業承継について

「ふるさと」を守る人たち

yakinikunanzan2010-04-12



先日、私にとっての「子育てふるさと」長野県小谷村(オタリムラ)へ行ってきました。
息子3人と甥っ子、姪っ子が山村留学でお世話になり、10年ほどを通いつめた秘境(?)です・・・。


うれしいことに、山村留学センター(廃校となっていた村の分校を山村留学生の寄宿舎にしたもの)は、そのまま残っていました。

息子たちのドッジボールのトロフィーも、靴箱の名前シールもそのままに、山村留学生がいつ訪ねてきてもよいよう、こぎれいに清掃されていました。




懐かしい卓球台の横にはノートがあり、訪れた山村留学生やその家族、職員などの書き込みがありました!
このノートを設置したのは、元山村留学生の辰巳和生君(大阪出身)。小谷村の古民家を再生し、村に住み着いて山留センターも守ってくださっているのでした。本当に有難いことです。
http://kominkasaisei.seesaa.net/



息子たちがお世話になった里親さんのお宅にもおしかけ、お昼ご飯をよばれました。(感謝です)
味噌も米も蜂蜜も・・・、何でも自家産の里親さんご夫妻は、昭和の脱都会ブームに乗った(?)東京・横浜からの移住組み。

村の小学校の統廃合で山村留学制度もなくなり、この地区から子どもの姿が消えてしまった・・・とのことでした。


きたやま南山の建物は、滋賀県永源寺ダムから京都に移築したものですが、古民家を移築することより、人が住むことのほうがうんと幸せなことなのでしょう。


今や、農山村の人口は減り続け、獣害も大変です。
野生動物に侵食されない人間の領域を守るのは大変なことで、村が野となり山となっては、人が離村せざるを得ないことになるのでしょう。


そこを何とかせねばと、「牛の放牧で村を守れないか」という勉強会が滋賀県でありました。
呼びかけてくださったのは、元外交官の七尾さん。
滋賀県の日野の古民家に移住され、この地域の獣害にも心を痛めて、牛と共にあった村の暮らしが取り戻せないか…という呼びかけにいろんな人が集まってこられました。



その中のお一人、滋賀県の酪農家池田牧場さんのおっしゃったことは痛烈でした。
「農業は、国策以外の何物でもない。農家は国の政策どおりやらされ、その挙句成り立たなくなっている。」
牛1頭に採草地何ヘクタールという規制のあった時代は、飼料も自給だったが、「飼料は輸入するもの」に変わってしまい、手間隙かけて自給飼料を作ることのほうが、コストとあわなくなってしまった・・・とのことでした。


池田牧場さんのところにも、南山の建物とよく似た古民家が移築され、それはそれはステキなレストランになっています。
奥様のご実家を移築されたとのことで、そこでは獣害を生き抜いた米・野菜も、鹿肉やしし肉といっしょにすばらしいお料理として出されています。




池田牧場の奥さんは、これまたステキな方で、先日滋賀のCSR大賞を受賞されたばかり!
美しい山を借景に開かれた池田牧場さんの香想庵は、美しい花壇を荒らす山の獣たちとの戦いが大変そうでした。




自然との共生は、甘くない。
牛の放牧もちょっとやそっとでできることではない。


そんな単純なことを学ぶところから始まった勉強会ですが、いわて短角和牛はじめ、北東北で取り組まれている短角牛の放牧は、本当にすごいことなのだと改めて思わされました。


ふるさとを守る人たちの姿には、カネの世界からは遠く離れた、ほっとできる豊かさがあります。
宮沢賢治先生なら、今のこの状況をなんと言われるでしょう・・・。




追記


先日、岩手へ行った折に通りかかった「岩手南山」の跡地は、かつての南山の痕跡など全く残らず、コンビニになっていました。
それこそ、「あとは野となれ山となれ…」となった、宮沢賢治にささげられたはずの南山、元地主の親父さんも、娘さんを亡くされて商売をたたみ、お孫さんの世話に全霊をかける好々爺となっておられたのでした。