yakinikunanzan会長の事業承継奮戦記

子育てと事業承継について

いのちの循環の中で思うこと

yakinikunanzan2008-01-07



OUR DAILY BREAD いのちの食べ方という映画が昨年暮れから、全国で上映されています。
食の大量生産とグローバル化の現実を、淡々と映し出しているドキュメンタリーです。
一切の解説やコメントなしに食料生産現場の映像だけが流され、時折人間の食事風景も映るのですが、これがなんとも不気味な孤食・・・。
命ある食べ物といっしょに人もまた、大量生産大量消費のなかで無機質な「物」と化したような殺伐感を味わわされました。


そして映画は、牛が屠殺され解体される場面で終わります。


映画館で600円で買ったパンフには、次のようなメッセージが記されていました。

食べ方の作法はどうでもいい。
見つめよう、そして知ろう。
自分たちの業と命の大切さ、そして切なさを。


この映画を見た日、滋賀県木下牧場さんで1頭の子牛が生まれました
昨日、念願かなって木下牧場さんをお訪ねしたのですが、生後二日目の彼(↓)に出会うことができました。



昨日は、なんと、この日に生まれたばかりの姫(↓)にも出会うことができました。



1月5日生まれの彼のほうは、お母さん牛が病弱でうまく母乳がもらえず心細そうにうずくまっていましたが、生まれたばかりの姫のほうは、まだ赤いへその緒をぶらさげたまま、お母さん牛から母乳をたくさんもらって甘えていました。


木下牧場さんは4台のライブカメラで、24時間牧場を公開しておられるのですが、運がよければ子牛が生まれる瞬間に立ち会うことができるので、わたしは毎日のぞいて見ています。
http://cam6075917.miemasu.net/ap/wsmain.html


さぞかし大変だろう牧場の仕事も、カメラのおかげで仕事場=撮影現場=表舞台となるのですから、木下さんちの俳優陣は、いつも生き生きしておられます。


木下牧場さんにはほかにも驚くことばかり・・・。


「二日続けてお産があったのですから、さぞお疲れでしょう?」というと、
「この母牛たちはどちらもベテランなので手はかかりません。自分で生んで、後産も自分で処理して、子牛もなめてきれいにしてくれるので、母牛に任せとけるんです」とのこと。
「人間のやることは、納豆だって作れる上等の近江米の稲わらをたっぷりと敷いてあげること」ぐらいなのだそうです。


木下牧場には、いたるところに近江米の稲わらと、自家産牧草のサイレージが積み上げられていました。
木下牧場の自家産粗飼料づくりについては新年元旦の食肉通信にも掲載されています。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/7b/05d6f48d5fd9312a3a4b72a5b1e03968.jpg


うずたかく積み上げられた稲わらの倉庫の前は子牛の放牧場。
子牛たちは柵をすり抜けて自由に外へ出ることができ、月齢に応じて徐々に集団生活にもならされ、母乳を卒業する月齢になれば、隣の肥育舎に移されて肥育されます。


その肥育を担当しているのが木下家のお嬢さんお二人!!
高校3年生のお嬢さん(左から二人目)が去勢の担当。
中学3年生のお嬢さん(左から3人目)は、お姉さんからメスの肥育担当を譲ってもらい、こちらを担当。
20キロ入りの餌の袋ぐらい、軽々持ち上げられるようになった・・・とはいうものの、この年で責任ある仕事を任されているのですからたいしたものです。健全に育っているのは牛ばかりではありませんでした。



こんなに立派な子育てもされた木下その美さんですが、「いやぁ牛には負けます。母牛は、子牛のウンチでもなめて汚れをとってやるけど、わたしはそこまで愛情深くはなれませんでした」


底抜けに明るい木下さんですが、ご主人の病気を機に幼い子二人を抱えてご実家でなさっていた繁殖経営を導入されたのが始まりで、その苦労は想像を絶します。コンクリートブロックでつくられたえさ箱も自家製なら、牛舎の鉄柵も自家製。工務店並みの鉄骨溶接場もある牛舎には、柵の幅ひとつにもノウハウがぎっしりと積み重ねられ、お金のかからぬ進化が続いています。


木下牧場さんのカメラで、生後間もない子牛が元気に走り回っている姿を見ると、たとえ人間に食べられるために生まれてきた命でも、嬉々として命の花を咲かせ、生まれてきた役割を全うしてくれるならば、それが最高に幸せな生き方なのだと思わずにいられません。


肥育を担当しているお嬢さんお二人も、最初は出荷のたびに泣いていたけれど、途中で病気で死なれることほど悲しいことはなく、「よくがんばってくれた!」と、育てた牛を見送れるようになったとのことでした。


大量生産の枠組みから離れ、しっかりと命あるものに向き合って育てておられる生産者さんとつながることができるのは、わたしたちにとって最高に幸せなことです。


人間もまた、いずれ自分の命を譲りわたすそのときが来るまで、与えられた役割を嬉々として引き受け、命の循環の中で健気な生を全うしたいものです。