yakinikunanzan会長の事業承継奮戦記

子育てと事業承継について

北山通りの小さな田んぼ

yakinikunanzan2007-06-27



四方を山に囲まれているはずの京都盆地ですが、東山・西山・北山はあっても、南山はなく、京都の南に山はありません。
それなのに、焼肉屋の南山が京都の北山にあるというのは、けったいなことのようですが、これは単なる偶然のことなのです。


南山の創業者は、昭和40年に大分県で洋食レストランとして南山を創業し、焼肉レストランに業態変更することで経営を軌道に乗せ、北九州、京都の河原町三条へと出店しました。
その後、滋賀県の永源寺ダムに沈む村との出会いから、その村にあった築200年の
美しい農家を譲り受けて移築先を探し、その結果、北山通りに南山が生まれたのです。


昭和46年11月のことです。
そのころの北山通りは、やっと舗装がされたばかり。ついこないだまで牛が歩いていた
という、すばらしい田舎そのもので、初夏にはカエルの鳴く声、秋には稲穂の香り、
そして肥えたんごの香りも当たりまえで、やんちゃ坊主がノツボにはまってしまう
こともよくありましたし、大八車で野菜のひき売りに歩く農家のご婦人の姿が、
それはそれは美しい風物詩でもありました。


茅葺き屋根こそ復元できなかったものの、南山のこの建物は、永源寺村から何の違和感もなく
北山通りに根をはったのです。


そんな北山通りの昔の姿を思い浮かべながら、南山の店頭に田んぼを三つ!作りました。


5月26日に近江悠紀会さんの田んぼへ田植えに行き、その帰りに、田んぼの土と
余った苗を分けていただいたので、翌日それをバケツ3つに植えておいたのです。


今日で丸1ヶ月。こんなに大きくなりました。
バケツで育つかぐや姫です。



しかし、命を増殖させる農の世界はなんと気前よく、豊かなのでしょう。


田植えを終えた田んぼの横にうち捨てられた余った苗をもったいながり、
欲どしく持ち帰ったのですが、それでもバケツ3個にはあり余る苗の量!! 


時間を置けば枯れてしまう、まだ命ある余った苗から、どれを選んで植えるのか・・・、
大半の苗を捨てることになる選択は、「より多く持つ」ことをよしとする物質文明に
侵された都会人には、どうもなじめませんでした。


それで、今にも消え入りそうにひ弱に見える苗を、1本でも多く・・・とバケツの土に挿し
ておいたのですが・・・、その苗たちが、どれもみんなニコニコ元気に育ってしまいました!!
これではある程度間引かねば、具合悪くなるでしょう・・・。 
あぁ〜、またまた悩まねばなりません。


バケツでかぐや姫を育ててみて、自分の命を差し出して次の世代をはぐくむ種モミと、
収穫され人の命に姿を変える米のほかに、無駄に土に返る命がたくさんあることを
教えらました。


農の世界では、必要なだけの命をつないでいくことが目的なのですね。
捨てられる運命の苗も含めて、バケツの中のかぐや姫たちは、それはそれは
気前よく、ニコニコと育っています。


命あるものの端くれとして、農の世界の営みに、つくづく畏敬の念を覚えたのでした。


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6月30日、近江悠紀会の岡本甚太郎さんからお借りした田んぼの画像が届きました。


手植えしたわれらが田んぼのかぐや姫も、こんなに大きくなっていました。
機械植えされた隣の田んぼと比べ、うちの田んぼは味があるではないですか!!




こんなにひ弱そうだった苗が、本当にちゃんと育つとは・・・!!






滋賀県から京都の北山通りに移築された農家の軒先で、滋賀県の田んぼで余った苗の
生き残りが、バケツに植えられ、すくすく育っています。