生きたいなら、生きるのが正しい
11年前の大震災のことを思うと、小さなひとつの企業の生き死にごときは、
ほんの些細な、どうでもよいことなのだと、つくづくそう思います。
「気の毒だが、南山がなくなっても、誰も困りはしない。同業社は
喜ぶだろうし、お客さんにとっても、もっといい焼肉屋ができるほうが
メリットになる。コイズミのコーゾーカイカクというのは、しっかりと
した商売をやっているところだけ生き残らせ、だらしのない企業は
どんどんつぶして、多すぎる企業の数を調整しようということなの
だから、だらしのない企業を救済する手立ては無い。従業員も、
しっかりとした企業に再就職する方が幸せになれる」
・・・と、南山は、だらしのない企業として死を宣告されたことが
あったのですが、これは本当にわかりやすい説明でした。
なるほどなぁ、と妙に納得する一方で、今の時代に幸せになるには、
ジャスコへ就職しろと子ども達にも教えるべきなのかなぁ・・・と、
コーゾーカイカクがめざす、つまらない世の中を想像し、これから
社会に出ようとする若者達を哀れに思ったものです。
ところが、こんな風におっしゃった同じ方から、「生きたいか?」と
問われました。「生きたいです」と答えました。
すると、「生きたいなら、生きるのが正しい。死ぬ気で、やれるところ
までやってみなさい」と、思いもよらぬ言葉が返ってきました。
一企業の復興など、あの震災を乗り越えてこられた方の苦労の比にもなりません。
命がとられるわけでもなく、家族を失うわけでもなく、南山は
ゼロからの再出発をさせていただくチャンスを得て、だらしのない企業から
まじめな企業へと少しずつ変わってきました。
企業というのは、そこに関わった「人の思い」がつくりだす奇跡の結晶体
なのだと、つくづくそう思います。
一命を取り留めてからというもの、本当に尊敬できるすばらしい方々との
出会いが「生きたい」と思い続けるエネルギー源となっています。
本当に有難いことです。